001|月夜の剣士〜清十郎ヴァンパイア侍〜|序章

月が明るい夜である。
満月が空に浮かんでいる。時折その前を薄雲がよぎっていく。
その男はゆっくりとした足取りで木挽橋の方に向かっている。
橋の袂に出ると、右側の広小路の方に曲がった。そのまま河岸を北に歩いて行く。
こんな刻限に外を行くこの男、着流し姿に大刀を帯びている。
向こう側から提灯の明かりがやってくる。 男の横を通り過ぎるのは商家の主のような風体の男と小僧。
その男は通り過ぎたのが誰であったのか。知りもしないし、気にも止めていなかった。

月夜にかすかな声を聞いた。怯えたような声。
そして振り向いた、ほんの少し先の闇の中にうごめく人影を目にした。
提灯の明かりがぼんやりと照らす人影は4人。その中に鈍い光を放つ物が動くのが見えた。 誰かが匕首(あいくち)を抜いたようだ。
その男の姿を認めたらしい人物が「お助けくだされ」と叫ぶ声を発した。
揉め事の登場人物は、先ほどの二人、 対峙しているのは少々荒くれ風の男が二人。
はっきり言って事情が飲み込めないので「あまり関わり合いになりたくはないが・・・」と思いながらも 見過ごしには出来ない。
つと、足を滑らせ向き合う体制を取った。 荒くれ男は「邪魔すると怪我するぜ」と脅し文句を投げかける。 それでも引かぬ男に向かって匕首を向けてきた。
次の瞬間、声も無くその場に崩れ落ちるのを見たもう一人が 何をしやがる、と向かってきたが、こちらも次の言葉を発するまでもなく、倒れ込んでいる。

「今のうちに行かれよ」と言われた商家の主風の男。
商家の主風、と思ったのは正解であったようだ。 本銀町(ほんしろがねちょう)一丁目の両替商近江屋徳兵衛と名乗った。 ぜひ、お礼をしたいと言う。
本心、少々めんどくさいなとも思いつつ是非にと誘われ相手の顔を立てることにした。 なにせ、食事は先ほど済ませたのだから ・・・。
月に照らされて青白く見えるその横顔がどうにも満足した風には見えかねてる。
といっても、この男の場合酒を飲むで無し、 かといって満腹になるほど食うでなし。 その訳は後ほど明らかになるであろう。

酒肴の後、頃合いを見計らって退散しようとすると 徳兵衛は「では駕籠(かご)をご用意いたします」という。
清十郎は少々困った。「なんと言ってごまかそうか」
実は店賃の支払いが滞って今朝長屋を追い出されたのである。
「まあ、仕方が無い」と思い、正直に打ち明けた。
「実は帰るところが無くなったので」と。

徳兵衛は、それならばと近江屋の離れに滞留(たいりゅう)くださいと申し出た。
「何分、御店が大きくなりますと色々と厄介な事も増えて参ります。 用心棒といっては失礼ですが、いざという時にお力をお貸し願えれば」

先の一件も商売敵の一種の妨害のようなものであろうか。
徳兵衛はあまりがつがつとした事をしない清十郎に良い印象を持ったようである。
「ま、何はともあれ雨露は凌げそうだ」と
夜空に浮かぶ月を見上げながら、清十郎は思った。