剣客商売一 第十話「兎と熊」

「剣客商売〜秋山小兵衛」藤田まことイラスト  とある屋敷の潜門から一人の娘が出てくる。包みを抱え、日傘を差し道を進んでゆく。脇道より現れた侍。羽織袴の身なりもしっかりとしており、傘をかぶっている。その侍が道を塞ぐように立ちはだかり、こちらを見やる。何かを感じ取ったのか、歩みを止め振り返るとそこには侍二人が付き添った籠が近づいてくる。前後を挟まれたと思った時、道には傘が残されていたのみであった。

 三冬が住まいなす、根岸の寮。霧雨に煙る庭で老僕の嘉助が草むしりをしている。その寮の一室。小兵衛が呼ばれてきた。他には三冬と医師の村岡道歩。道歩が小兵衛に手紙を見せながら経緯を話している。手紙が届いたのは三日前の昼過ぎ、娘の房野の帰りが遅いと家族が心配し始めた頃のことらしい。住み込みの下男が侍から受け取ったようだ。身なりのきちんとした侍であったが、名も告げずに立ち去った。「娘御の命が惜しくば、浅草山谷堀の三好屋へ、大月の客と申して」とある。家の者にはお上には届けぬよう言い含め、道歩が書状の通り三好屋へ向かった。がそこには大月はおらず、しばらく待つよう命じられた。しばらくして店の裏に籠が待ってい、付き添っている侍に目隠しをされ、命じられるまま籠に乗り、大きな屋敷まで連れて行かれた。どこをどう行ったのかまるでわからぬが半刻はかかったように感じたという。大名屋敷のようにも思われる。その一室で頭巾を被った老人から毒薬の調合を命じられる。「医者は人の命を救うもの」という道歩に「救えば良いではないか、娘の命を」と。「猶予は七日、承知の際には表の木戸門に赤い紙切れを貼るように、さすれば迎えが行く」と告げられる。三日の間、思案し尽くしたが思い余って三冬に相談をした道歩であった。村岡道は三冬の叔父、和泉屋吉右衛門の掛かりつけであるという。そこで、三冬が小兵衛に助勢を求めたという訳である。「籠で半刻もかけた道のりではあるが、どうもわざと遠回りをしたのではないか、どちらにしても奉行所などに届けて騒ぎ立てては娘御のお命が危ない」とは小兵衛。「まだ十八になったばかりの、色白で心の優しい兎のような可愛い娘」をどうぞお助けくださいと頭を下げる道歩に頷き返す小兵衛。

翌日、村岡道歩の元を尋ねる若者が一人。「医学見習いとして入門の許しを受けておりました」と告げるこの若者、名を秋山小太郎と名乗った。そう、秋山大治郎である。怪しげな手つきで薬の調合をしている。妻のおよしからは「このような時に医生など」と詰め寄られるが、道歩は「私にまかせてほしい」とじっとしているように諭すのであった。

 四谷の弥七のお店、武蔵屋。二階の座敷で小兵衛、弥七に加えて傘屋の徳次郎が手立てを探っている。小兵衛は大身旗本か大名かと睨んでいるようだ。浅草からさほど離れていない場所の下屋敷を弥七以下の者に探らせようとしている。「中間部屋から博打場まで虱潰しに当たってみましょう」という弥七に当座の費えとして包みを手渡す小兵衛である。

 鐘ヶ淵の小兵衛の隠宅。庭で風呂に浸かる小兵衛。湯を足しながらおはるが言う。「若先生の道場で昔お世話になったという人が訪ねてきていた」らしい。大治郎にではなく小兵衛を訪ねて。「ずんぐりしていて毛むくじゃらで・・・内田なんちゃらっていう・・・」それはかつての小兵衛の弟子で無外流の折紙を受けた、内田久太郎であるらしい。「翌日改めて出直す」とおはるに伝えたらしいので小兵衛が道場へ出かけると、一人道場で猛烈な勢いで木太刀を振るっている久太郎が居た。無沙汰を詫び、今は仕官がかなったこと、それが九千五百石の旗本・花房筑後守秀方の家来であることを告げ、「今ひとつ力の足りぬ私に無外流認定の折紙をくださった先生のおかげ」と語る久太郎。「ゆっくりしていかぬか」と小兵衛が誘うが「急なお役目についております」と屋敷へ戻らねばならぬ久太郎、場所は赤坂・溜池。自分は三ノ輪の下屋敷に詰めているという。久太郎を奧御用人・曽我権左衛門に引き合わせたのが大月弥惣治・・・久太郎が語ることが引っかかる小兵衛であった。

屋敷に戻った久太郎に声を掛け、「恩師へ感謝を伝えたい気持ちはよく分かる。以後は勤めに励むよう」告げたのが大月弥惣治。さらにもう二人、久太郎の帰りを待ちわびていた者。二人の侍が「おぬしでないとだめなようだ」と言ったのは房野が久太郎に懐いているようで、房野が囚われている土蔵の前で久太郎が声を掛けても返事がない。断りを入れ踏み込むと房野が首をくくろうとしている。すんでのところで久太郎が防いだが、「どこへ行っていた」と詰め寄る房野。「一緒に逃げて」と懇願するが「自分の立場ではそれはできない。いずれ必ず家族の元へ戻れる」という久太郎。「武士が一介の町娘の命を奪うなどということはありえない」という久太郎に、勾引かされた際に破れた着物の袂を見せ、「母が縫ってくれた着物を引き裂いたのはあなたたち、母の気持ちを踏みにじったことだけは忘れないで」と・・・房野。

 弥七と傘徳が隠宅へ小兵衛を訪ねてきて、ことの進捗を告げている。小兵衛が気になった花房筑後守の下屋敷を調べていたようだ。「長い間、殿様の御成りがなく、ガランとしていたがここしばらくは人の出入りが多い」らしい。奧御用人の曽我権左衛門に、その下で侍たちを束ねている大月弥惣治と、知った名前が出てくる。「熊の奴、勾引かされた兔殿の見張りをしているのやも知れん・・・もしかするとそのためだけに雇われているのかも」小兵衛が漏らした。「熊の奴、いつまで手を焼かせることやら」と。

 根岸の寮。茶を淹れている嘉助に「私がやろう」と三冬。手に盆を持ち、部屋の襖を開けて渋い表情になった。部屋には小兵衛と父である田沼意次の用人、生島次郎太夫。小兵衛が生島から花房筑後守について情報を得ている。「二万、三万石の大名より内情は裕福」な「旗本の最高位」にあるという。下屋敷は三ノ輪で村岡道歩が連れられた場所と思われる。内田の口から大月某の名を聞きもしやと思った小兵衛であったが予感は当たっていたようだ。「その旗本が町医者に毒薬を作らせて何をするのか」と三冬が問う。花房家の当主、秀方は当年六十歳。ここ二年は病に伏しており跡目争いが起きているらしい。生島によると長男・一学は二十七歳。ところが病弱であまり出来が良くない。妾腹の将之助はなかなかに利発な生まれつきらしい。当然色々と揉め事が起こる。「一方が一方を毒薬でもって毒殺しようとする、そのために町医者として評判の高い道歩を使う。出入りの医者では秘密が漏れると思ったのであろうが、人質をとって脅しをかければ町方の者など言うことを聞き、泣き寝入りをすると思っておるらしいが、そうは行くものか」と小兵衛。「これからどうなさいます」という生島の問いに「一か八か、鬼ヶ島の鬼退治じゃ」と三冬と目配せする小兵衛である。

村岡邸の木戸門の上に承諾を示す、赤い紙切れが貼られたのは翌日の朝。「ご家族の元へ戻れます」と房野に告げにきた久太郎。それに対し房野はあまり喜びの表情を見せない。「これで大任を果たせて安心した。肩の荷がおりた」という久太郎に「そんなに私がお荷物だったのか。なぜ、ここへ連れてきたの」と問う房野。「もう二度と合わない」と拗ねる。

 曽我権左衛門と大月弥惣治が語り合っている。「御正室の松子様もお待ちかねだ。いかに利発であろうとも政之助様は妾腹の子、跡目を継ぐのは御嫡子の一学様でなければならぬ」。「この秘密が外に漏れてはなりませぬ」という大月に「政之助様は病死と御公儀に届けるよう。屋敷で行われた事は闇から闇へ葬らねばならぬ」「村岡道歩と娘、それに内田久太郎は」曽我権左衛門が大月に「始末せぃ」と命じる。「案ずるな、待っていなさい」と妻に告げ、籠に乗る道歩。三ノ輪の下屋敷前の木立で木の枝を削っている小兵衛。そこへやってきたのが大治郎・三冬に弥七。「やはりここでしたか」「いよいよ鬼退治ですな」という大治郎と三冬に木の枝の棍棒を手渡しながら、「老いぼれの桃太郎が、犬と猿を引き連れてな」。「犬と猿、私はどちらでしょう」と大治郎。「旗本屋敷に十手を持って乗り込むわけにも行くまい、あとはわしらが」という小兵衛に「じゃ、雉は飛んでいきますんで、お気をつけなすって」と返す弥七。

 「約束の品は」・・・包みを差し出す道歩に「では、いただこう」と大月が手を差し出すが、道歩は「先に娘を。娘の顔を見てからでなければ」とその包みを懐にしまい込む。顔を見合わせる曽我と大月。「もっともな事」と房野を連れて来るが、薬を受け取った途端、扇子を鳴らすと襖が開き家来が踏み込み「眠らせぃ」と曽我が命令を下す。二人に手をかけようとした刹那、小兵衛が踏み込み、曽我、大月に対峙する。「貴様、このお屋敷を何と心得る」小兵衛は「バケモノ屋敷じゃろうが。あまり世間を騒がせるので、わしらが大掃除にやってきた」そこへ大治郎・三冬も踏み込み、大治郎が「御用人殿、先ほど渡した薬は私が調合した胃腸の妙薬だ」と告げざま、後ろから斬りかかった侍を振り向きざま胴をなぎ払い、三冬も別の家来と切り結び、袈裟に打ち倒している。その間、小兵衛は曽我を廊下の奥に追い詰めて行く。庭に飛び出した大治郎、左手に相手の切り込みを受けつつ、右手に持った棍棒で胴を払い、もう一人を上段から打ち据える。久太郎はその時、土蔵の中で控えていたが、外での気合い声が耳に届いている。大治郎・三冬は大勢の家来どもを打ち据えつつ、小兵衛は曽我権左衛門を玄関先へ追い詰め、右から襲ってくる侍を突きからの右袈裟で打ち倒し、もう一人の切り込みを左へ躱し肩口をしたたかに打ち据え、脇差を引き抜き構える曽我権左衛門を追い詰める。その気合いに押され、背を向けて逃げ出そうとする曽我の襟首を掴み、抑え込んで頭巾を剥ぎ取る。「観念せぃ、バケモノめが」曽我の面体は真っ白であった。

 房野の名を叫びながら駆けつけた久太郎。大刀を引き抜き、大治郎へ襲いかかるが、走り込んだ勢いのまま、胴を棍棒で強打され仰向けに倒れる。そこへさらに打ち込むべく大治郎が上段に構え、棍棒を振り下ろし、今まさに打ち据えようとした刹那、房野が駆け寄り、久太郎をかばう。「いやです、この人を殺してはいや」と。大治郎が振り下ろした棍棒は寸前で止まった。久太郎は訳もわからぬ表情で泣き叫ぶ房野を見つめている。道歩もどうしたことかとおろおろするばかり。なぜそのような行動にでたのか・・・房野も「わからない・・・けど、いや」としか言わぬ。

 無外流剣術指南 秋山大治郎道場。道場主の大治郎がたすき掛けで食事の支度をしている。道場では小兵衛が久太郎にこの度の顛末を言って聞かせている。今回の一件は田沼様により評定所の扱いとなり、厳しい処罰が下るはずだ。いかに妾腹とはいえ跡目の決まった若君を暗殺しようとしたのであるから。久太郎はそのあたりの事情を何も知らずとはいえ悪党どもの手伝いをしておったのであろうと。「ばかものめがっ」小兵衛の喝が道場に響き渡る。しかし久太郎には三年間の江戸所払いの処罰が下った。房野が泣いて命乞いをしてくれた、それを忘れるなとも小兵衛が言って聞かせる。「ささ、暖かいうちに。あなたはこの二三日何も食べていないのでは」と大治郎が用意した麦飯と根深汁を噛みしめる久太郎。やがて久太郎はあてもなく旅立って行った。房野は待っていた。雪の日も、雨の日も。てるてる坊主には誰かに似せたのであろうか、豊かなもみあげが書き込まれている。

 三年が過ぎたある日。門の前で紙風船を落とした房野が目を凝らした道の先に、見覚えのある男がやってくるのを見た。名を呼び駆け寄る房野と何も語らない久太郎。

 小兵衛隠宅の縁側。夜である。久太郎は侍をやめ、道歩の婿養子となり医術の道へ進むこととなった。そのことをおはるの酌で酒を飲みながら語る小兵衛。「人には向き不向きがあるのさ。これも定めだ」と。でも、おはるは「なんでこんなことになったのかねぇ、うんとかわいい白兎と毛むくじゃらの熊さん、うんとおかしな取り合わせだぁ」。「人のことは言えんぞ」と酒を口に含みつつ小兵衛。「おまえとわしも、そうまともな取り合わせではないわさぁ」

 内田久太郎が『二代目 村岡道歩』として秋山小兵衛の最期を看取るのはこれから三十年後の事だとは、この時誰も知らない。

原作版小説 剣客商売第三巻 第五話 兎と熊

TV版と原作版での一番の違いは、村岡道歩が最初に相談に行く相手がTV版では三冬から秋山小兵衛ですが、原作版では自身の医術の師匠である、小川宗哲先生であることです。かつて宗哲先生が長崎で医術を学んでいた際に寄宿していた〈鼈甲細工の問屋〔肥前屋源右衛門〕〉の三男・肇が宗哲の人柄を慕い、長崎を離れるにあたって門人となり、道歩という名を与えて独り立ちさせたということです。とはいえ、宗哲先生も医術のことは大丈夫でもこのような事件についてどうして良いものかと思い、ここで秋山小兵衛に相談を持ちかけることとなります。ですので、医生として住み込んだ大治郎が内部の犯行ではないかと探り、また連絡をつけるために送り込まれたということになります。また、原作ではお話の都合上、三冬様は登場いたしません。奧御用人らの悪巧み、本来なら病身の嫡子を亡き者に・・・となるはずですが、今回は利発な妾腹の子を的にし、嫡子を跡目につけ、実はその裏で自分たちが実権を握ろうと暗躍する悪人退治のお話でございます。

剣客商売〜第十話「兎と熊」〜キャスト

秋山小兵衛 藤田まこと
秋山大治郎 渡部篤郎
佐々木三冬 大路恵美
おはる 小林綾子
弥七 三浦浩一
おみね 佐藤恵利
傘屋の徳次郎 山内としお
生島次郎太夫 真田健一郎
嘉助 江戸屋猫八
内田久太郎 中野英雄
房野 朝岡実嶺
曽我権左衛門 佐川満男
村岡道歩 頭師孝雄
大月弥惣次 立川三貴