江戸南町奉行所

江戸町奉行所は、徳川幕府のもと、江戸の庶民の生活を守り、江戸の治安を守った警察組織です。

江戸町奉行の始まりは、寛永八年(1631年)、 三代将軍徳川家光により北町、南町奉行が任じられたのが正式な始まりとされております。当初より月番制とし、元禄年間まで銭瓶橋南詰が所在地を南町奉行所、宝永年間まで銭瓶橋北詰角(現在の大手町二丁目)を北町奉行所としておりました。その後、元禄十五年に中町奉行所が置かれ、所在位置により、北町、南町、中町奉行所とされましたが、享保四年、三カ所にあった奉行所の一つが廃止され、北町、南町奉行所の二奉行による隔月番制に戻りました。以後、明治維新により町奉行所が廃止されるまで北町奉行所は、呉服橋内(現在の丸の内一丁目)、南町奉行所は、数寄屋橋内(現在の有楽町駅辺り)で「御番所」として江戸市中における民政全般を司ったのでございます。

白洲

oshirasu 白練塀で囲まれ、白砂利が敷かれ其の上に容疑者が座る筵(むしろ)が敷かれており、中央三段の階段、上の間正面に町奉行が座る。(上記掲載写真は、東映太秦映画村の白洲です)
当サイトは「大岡越前」、「必殺仕事人」等の時代劇を絡めて町奉行所のお話を書きますので「南町」と表記することが多いですが、歴史の中、度々の移転で北町と南町奉行所の位置が替わり元北町が南町奉行所とされた経緯もあり、然程、南北奉行所の組織の違いはお気になさらずとも宜しいか・・・と。