鐘ヶ淵。秋山小兵衛の隠宅である。縁側に続く居間で顔を見合わせる三人がいる。秋山小兵衛とその息子、大治郎。さらに女武芸者・佐々木三冬。その三人の目の前に置かれた樽を見ながら「これはまた、大層な手土産じゃな」と小兵衛。どうやら三冬が持ち込んだのか。「さぞ、重かったであろう」と聞かれ、大治郎が「五貫目ほどはありましょうか」と言いながら縛ってある縄を解き、蓋を開けると小判、小判、小判。訳を聞くと一昨日、用人の生島次郎太夫が根岸の寮にこの金、千両であるが、それを持ち込み「どのようにもお使いを」と田沼意次から送られたものだという。三冬は断ったが「用人としての一分が相立ちませぬ」と生島も引き下がらぬ。仕方なく預かったは良いが、困り果て、大治郎の道場に持ち込んだのである。ところが大治郎も「剣の道ならば少しは学んでおりますが、金のことは皆目・・・」と頭を掻くばかり。しかし、そこで閃いたのが、父である秋山小兵衛。それで二人して鐘ヶ淵へ持ち込んだ次第である。仕方がないので、良い使い道が思いつくまで小兵衛が預かることとなった。「金貸でも始めるか?」と軽口をたたく小兵衛を大治郎が咎めるが、小兵衛は「使い道を考え、日がな一日を過ごすのも悪くない」とあくまで屈託がない。
大治郎と三冬が辞去したのち、小兵衛がひとり縁側で煙管をふかしていると、魚籠を担いだ男がやって来た。「鯰を買ってくれ」という。台所の笊にでも入れておいてくれ、と言ってから「ついでにこの樽も一緒に置いておいてくれ」と傍の、例の樽を指す。男が持ち上げようとするが、どうやら重そうだ。そこで小兵衛。「重いじゃろう。中に小判で千両入っておる」と事も無げに言うが、当然、男は信じてはいない。台所へ回ったところで、丁度出かけていたおはるが帰って来て、男を泥棒と間違うが、小兵衛に「鯰を売りに来た人だ」と言われきょとんとしている。夕餉はその鯰である。関谷村での話などをおはるから聞かされ「子はまだか」と言われて苦笑する小兵衛。そんな隠宅を外から伺う影が有ったことに気がついているのであろうか。
千駄ヶ谷・佐賀松平家の下屋敷。傘屋の徳次郎がこの夜も中間部屋で博奕をやっていた。博奕場と遊里とは元より犯罪と切っても切れぬ。その徳次郎をじっと見ている男がいる。何度か目があったその男、徳次郎もきになるようで、帰り道を尾行する。その途中で浪人どもに囲まれた《土崎の八郎吾》と呼ばれたその男、二年前にその浪人どもの仲間である大久保伝七郎と因縁があったようだ。大刀を引き抜き襲いかかる浪人に持っていた提灯を投げつけて躱し、逃げ出す八郎吾。囮として投げた木の棒が枝を揺らす音に釣られた浪人が駆けてゆくのを、木陰に隠れてその様子を伺っていた徳次郎のところに駆け込んで来て徳次郎とぶつかった八郎吾。博奕場で見かけた徳次郎だと気づき、「尾けてきなすったのかぇ? 話があるならついてきなせぇ」と言って先に立って歩き出す。着いた先は、とある菜飯屋。その二階に八郎吾の部屋がある。無口な菜飯屋の親父が差し出す酒を受け取り二階へ上がる。「まずは一杯」と徳次郎に酒を勧め、「話とは何だい」。口ごもる徳次郎に向かって「盗め(つとめ)のことでねえのか」と八郎吾。【盗め(つとめ)】とは【盗み】のことである。「おら、ちゃんとお前さんの正体を見抜いているもんね」と八郎吾。博奕場での様子から徳次郎を見込んでいるのだという。翌朝、菜飯屋を出る徳次郎。それを見送った菜飯屋の親父、権兵衛が八郎吾に「どこで拾って来た?」と徳次郎のことを聞く。「面白そうな奴なんで、今度の盗め(つとめ)を一緒にやることにした」と八郎吾は言う。この二人にもなにかしら因縁があるようだ。昨夜の浪人による襲撃を話すと権兵衛の表情が変わった。八郎吾は大久保伝七郎のやり方に納得が行かず、町方に知らせたことで大久保が捕らえられた。浪人どもはその仕返しを企んでいる。それを逃れるために旅に出ようとする八郎吾にはまとまった金が必要だ。そのために急いで盗め(つとめ)をすることにしたらしい。すでに目処も着けてあるという。
武蔵屋。四谷の弥七の女房が営む料理屋に寝ぼけ眼の徳次郎がやって来た。おみねに「また博奕かい?」と聞かれ頭を掻く。弥七と小兵衛に訳を話すと「それは傘徳先生、何とも見込まれたもんじゃのう」と小兵衛。弥七も「この徳次郎を筋の通った盗人だと決めつけてるとは、その八郎吾ってやつぁ」と楽しそうである。盗みに入る先は明日下見に行くらしいことや、寝ぐらの菜飯屋も突き止めた。ほかには一味もいないようだ、と弥七はお上の御用を考えているが、気乗りのしていないような徳次郎はどうも八郎吾を「悪い奴とは思えない」と見ている。弥七が諌めるが小兵衛が「四十がらみで愛嬌があって、上州訛りがある」と八郎吾の特徴を言い当てる。「世の中というのは、はてさて。面白いものじゃのぅ」という小兵衛の言葉には何やら含みがあるようだ。
連れ立って街を行く、八郎吾と徳次郎。大川を行く荷舟を眺めながら「まだ遠いのかぃ」と尋ねる徳次郎に、八郎吾は「大川と綾瀬川・荒川が一緒になったあたりで・・・」「鐘ヶ淵かぃ」と驚く徳次郎に淡々と「そこに色ボケのじさまが若い女房と暮らしている。小金を貯めこんでいるらしい」と語る八郎吾。じっと俯く徳次郎。小兵衛の隠宅では、台所に置かれた見慣れぬ樽に気づいたおはるが開けようとするが、すんでのところで小兵衛が制止する。「不二楼の女将からもらった、京の珍しい漬物」と嘘をつき開けないように言い、弥七が来ているので昼餉を準備するように言いつける。小兵衛は鯰を売りに来たのが【土崎の八郎吾】であることを見抜いており、それを弥七に伝え、隠宅へ盗みに入ったところを捕らえようと弥七と相談をしていた。昼餉の善が運ばれさらに話が続いている様子を、今度は八郎吾と徳次郎が庭先から見ている。「客が来てるねぇ」という徳次郎に「妙な客だね。どうも気に喰わねぇ、油断ならない面をしている」と八郎吾。そんな二人の様子もすでに小兵衛にはお見通しだ。竹藪にいることを小兵衛は知っている。
とある座敷で。前祝いという八郎吾。その席で徳次郎は鐘ヶ淵へ盗みに入ることへの不安を口にするが、「盗めでは血は見せねえ、女にも乱暴はしない」という八郎吾。「気持ちを楽にして、蕎麦の一つも手繰るような気持ちで」やれば良いという。「ほんの手土産がわりだ、かみさんに渡してくれ」と五両の金を包んで徳次郎に渡した。翌日、徳次郎の話を聞きその五両を確かめた弥七が「随分と義理堅てえ盗人がいるものよ」といささか感心したような声を出す。徳次郎は義理堅いというよりも「人が良い」と思っている。明日の晩、押し込むことになっている八郎吾と徳次郎。弥七は「八郎吾をお縄にして、この五両を返してやるから、どこからでも押し込んで来な」と気負い立っている。しかし、その場にいた大治郎は「義理堅く、人情に厚い。盗人にしては今時珍しい男だ」と少し感心している。ところが父小兵衛には「何を考えておられるのやら」と首を傾げている。その夜、六堂の辻の菜飯屋。川の対岸から浪人が店を監視している。するともう一人の浪人が店から出て来た。二階を寝ぐらにしている八郎吾を調べていたらしい。しかし、その場で踏み込むことはしない。
翌朝、菜飯屋の二階で、煙管を燻らせる八郎吾。そこへ権兵衛がやって来た。この二人も例の浪人たちの動きを感づいている。盗めをするのを待っているのであろうと。権兵衛は無言で風呂敷包みを広げる。「わしの気持ちじゃぃ」と言った包みの中身は棍棒などがある。盗めの道具である。そこで、八郎吾はこれから上州・高崎から美濃・太田、尾張の名古屋を巡って江戸へ帰ってくる計画を打ち明ける。それに徳次郎を連れて行こうというのだ。またその日の午後、おはるは舟で大川を渡り、小兵衛に言いつけられた通り、不二楼へ向かう。「忙しそうだから手伝ってこい」と言われたらしいがそうは見えない。例の漬物の礼を言うおはるにおもとは機転を聞かせてうまくやり過ごす。言うまでもなく、今夜の襲撃に備えておはるを避難させたのである。おはるが船で大川を渡るのを見ていた大治郎、小兵衛を訪ねたが、いささか不満があるようだ。「こういうことがあるから人間長生きするものだ」という小兵衛に「今回の事はいささか酔狂の度がすぎているのでは」と苦言を呈す。言うまでもなく八郎吾と徳次郎のことであろう。小兵衛が気にしているのはおはるの事。「おはるだけでなく、千両もの金を見ると皆変になってしまう。いっそ今夜押し込んでくる八郎吾にその千両をくれてやったら・・・」大治郎が小兵衛に詰め寄るが、「千両もの金が市中に出回れば商いが賑やかになる。商いが賑やかになれば飯の食える者も増える」という事である。「金という者は生き物であるらしい。自由自在に世の中を飛び回りながら、善悪両方の働きをするそうな」。そんな小兵衛の言葉を聞き、何を思ったのか。大治郎は無言である。
夜の川岸に提灯を持った八郎吾と徳次郎。舟までが用意されている。徳次郎が舟を漕げると言っていたので、船で鐘ヶ淵まで行くようだ。そして大川へ滑り出す二人を見て、同じように舟を使って後を追う、浪人の集団。小兵衛の隠宅では小兵衛と弥七が普段通りの生活を装って待ち構えている。忍び込んで来た八郎吾が徳次郎のつまずいた樽に気づき、中身を確かめると小判が詰め込まれている。腰を抜かしたようにへたり込む八郎吾に向かってすでに気づいていた小兵衛が庭から声をかける。「土崎の八郎吾、久しぶりじゃのぉ」棍棒を打ち込む土崎の八郎吾を取り押さえてしまう。八郎吾は「徳どん、逃げろ」と徳次郎に声を掛けるがその時、台所からは行灯を手にした弥七が現れ、徳次郎は自分の配下の者であると告げる。小兵衛は八郎吾に「徳次郎に頼んでお前さんをここへ連れて来てもらったのはわしじゃからのぉ」と言う。千両の使い道、金に詳しい八郎吾に「この千両、お前さんにくれてやると言ったらどうする?」と言う小兵衛に、八郎吾は「人が悪いな、ご隠居は」と言いつつ「頂いて帰ろうと思ったのは五十から百両、こんな大金は縁がない。金というのは生きるも死ぬも、持ち主の器量次第。自分のようなものが千両もの金を持っても碌なことがない。こいつは運の悪い金なんでございましょうね」と八郎吾。「誰も欲しがらねぇ、使い道もわからねぇ、そういう金があるんでございましょうね、世の中には」。無言で頷く小兵衛の耳に気配が感じられた。五人、いや十人。この家を取り囲んでいるようだ。そして八郎吾を目指して押し込んで来た浪人どもを小兵衛と引き返して来た大治郎が鮮やかに退治する。その間、弥七が八郎吾に「手土産がわりの五両」を手渡す。お咎めは無しだ、との弥七の無言の行動であろうか。「ご隠居によろしく」と言い残し、八郎吾はその場を立ち去る。
不二楼のお座敷、小兵衛と大治郎が向かい合っているのは佐々木三冬。小兵衛が詫びを言う。先般の千両は田沼意次へお返ししたと。しかし三冬は「受け取ったのですか? あの父が」と驚いているが、そこはそこ。不二楼のおもとの手を借り、お忍びがあった際にとりなしてもらったと言う。「女の得手としか言いようのないものですからね・・・」とおもとは言うが、そこの部分はまだ理解できぬ三冬である。田沼様でさえ、とんだ勘違いをなさるということ、今回の件もひたすら三冬の行く末を案じてのことと小兵衛は考えている。そこへおはるがいつまで待たせるのだ、と小兵衛を迎えにくる。慌てて帰ろうとする小兵衛であるが、大治郎に声を掛ける。おもとを通して田沼様に千両をお返しすることを思いついたのは大治郎であるらしい。しかし小兵衛から見ると、そのあたりについては大治郎も詳しくはないであろうと思われていた。「良い手本が目の前にありますので」という大治郎に「手本というのはわしのことか?」 おはるが舟から急かす声が聞こえる。
TV版と原作版ではタイトルが違います。このタイトル、TV版でも八郎吾のセリフとして出てまいりますが、八郎吾が徳次郎を庇う際に出てくる言葉です。そして原作でもとても大事なセリフとして出てまいります。八郎吾と徳次郎の出会い、関係、そして小兵衛の隠宅へ狙いを付け、盗みに入ろうとするところなどはどちらも共通ですが、大きな違いとして浪人に命を狙われるのがTV版では八郎吾ですが、原作では徳次郎です。賊をお縄にしたことを逆恨みした浪人どもにねらわれることとなった徳次郎。一緒に盗みに入るところを付けて来た浪人どもに襲われますが、それは鐘ヶ淵ではなく、そこへ行くまでの道中で襲われたところを通りかかった秋山大治郎が助けます。田沼道場での稽古を終え、帰りかけた際に田沼意次から誘われ夕餉を共にしたために帰宅が遅くなった大治郎がたまたま通りかからなかったら・・・。そこで、徳次郎を庇う八郎吾が「徳どん、逃げろ」と言います。そして八郎吾は浪人の刃に命を落とすこととなります。大きな手柄をあげたことになった徳次郎は八郎吾をしっかりと弔ってやります。八郎吾は徳次郎をなんと思ったのか。「勘違いというものさ」とは小兵衛の言葉です。人間というものはだれでも、勘違いをするのだそうです。原作の中でも特に私のお気に入りの一編でございます。
秋山小兵衛 藤田まこと
秋山大治郎 渡部篤郎
佐々木三冬 大路恵美
おはる 小林綾子
弥七 三浦浩一
生島次郎太夫 真田健一郎
徳次郎 山内としお
おみね 佐藤恵利
おさと 亜路奈
おおと 梶芽衣子
土崎の八郎吾 火野正平
田島 沖田さとし
古川 竹内春樹
佐原 鎌田栄治
権兵衛 荒勢